悲しい出来事
金曜日の夜に聞いたショッキングな出来事でこの2、3日ブログを書く気持ちになれませんでした。
前の会社で一緒に働いていた同僚が肺がんで亡くなられました。まだ、33歳です。確か昨年の1月に結婚したばかりで、これから新しい家族と未来を築き上げていくところでした。私自身は、彼とは4ヶ月くらいしか一緒にいませんでしたが、その間でも、彼の仕事に対する誠実な態度や、周りの人に対する気配り、思いやりの姿勢は今でも忘れられません。お昼は、お金を貯めているということで、家からお茶を持ってきて、200円以内に収めていました。今から思えば、一緒になる人がいて、そのためにお金を貯めていたんだなーと・・・。昨年の5月に体調を崩して闘病生活をされていたということで、本人のみならず結婚したばかりの奥さんのことを思うと涙が止まりません。また、彼と同じ世代の友人がたくさんいて、彼と一緒にがんばっていた彼らの気持ちを思うと言葉が出ません。彼が体調を崩してから一度も会えなかったことが今とても残念でなりません。少しでも声をかけてあげたかったです。
人は最後は死ぬと分かっていても受け入れることのできない死もあります。なぜ神様は、幸せの絶頂期の者に試練を与えてしまったのでしょう。それが運命だと言うにはあまりにも酷です。本当に今回のことは残念でなりません。
この週末、人の生死についていろいろと考えさせられました。
ご冥福をお祈りします。
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コメント
松原先生へ
人の死って何なんでしょうね。
わたしも、小さな頃から“死”は、わたしにとって最大のテーマでした。そして、色んな人の言う事や、書物を漁りまくりました。正当宗教から霊能者やオカルト的なモノまで、そしてもちろんサイエンスにも。でもなかなか結論は得られせんでした。
わたしも、高校の時に一人、大学時代に二人、友人が亡くなりました。一人は病気、一人は事故、そして一人は自殺。
就職してからも、随分知り合いが亡くなっています。本当に親しかった上司も、若くして亡くなった先輩。
そして、今も、一人、お世話になった上司で、今年度で定年の上司が今、ガンの治療(1回1週間のセットを8回やるそうです)中です。この間まで、元気にしていたのに、最近訪ねて行ったら、「もう職場復帰されずにそのまま退職されるだろう」と言う事でした。身内も随分亡くなっています。小さな頃から可愛がってくれた伯父さんや伯母さんも続いて亡くなりましたね。
確かに、若い人の死はこちらも辛いですね。
「何で一言相談に来てくれなかったの」
とか思ったりもしますが、だからといって、救えるものなら救ってあげたいですが、なかなか救えるものでは無いですね。
実際、今、“死”の淵に居る先輩ですが、お見舞いに行くにも、「体力が落ちてしまっているので、今は行かない方が良い」って言われてしまいました。先輩にはもちろん助かって貰いたいですが、先輩の今回の病気は大きな“教訓”になりました。彼は、真面目で、一時は会社のNo.2の位置まで上り詰めたのですが、結局、ワンマン社長に正論を言ったために、左遷されてしまいました。こんな会社がいつまでも持っているのが不思議なんですが……いずれにせよ、どんなに物質的栄華を極めようと、“病気”や“死”の前では無力ですね。そういう価値観だけに釈迦力になっていると、結局は、“本当の自分”を失いそのストレスから“死に至る病”にもなりかねない(それだけでは無いですが)です。
ところで、現時点で、最終的に行き着いたのが“御釈迦さま”の教えです。と言っても、日本の大乗仏教では無く、元々の御釈迦さまの教え“長老部仏教”です。御釈迦さまは、あまり“死後”の事とか仰らなかったのですが、それでも、端々に仰って居ることは、
「人は死んでも、その心のエネルギーは形を変えて生まれ変わる」と言うことです。まあ、単純化して言うと、“魂は形を変えて転生する”と言うことです。現在科学では認められていませんが、その考え方はとても科学的なのです。“エネルギーの保存則は魂と言う心のエネルギーにもあてはまる”と言う事です。ただ、御釈迦さまの最終的な目標は、こういうエネルギーを消滅させて二度と生まれ変わって来ない事でしたけど……。これをベースにして、霊能力者の江原さんの言ってる事を重ねあわせると、もちろん“ズレ”はあるのですが、かなり一致している所もあります。
一言で、全てを語る事は出来ませんが、
「全ての人生には“意味”がある。例えそれがよそから見て、理不尽に思えようと、それはその人と、その人に関わる人の“カルマ”の清算に役に立っている」と言う事です。なんか突き放したような言い方になってしまいますし、実際の関係者の方のショックは大変なものだと思います。でも、故人にとっても、亡くなられてしまったのですから、早く、彼の“この世への執着”を無くしてあげるのが、最大の供養になるそうです。この短いコメントの中で正確に伝わらず誤解を生む事をあえて恐れずに書かせて頂きました。わたしにとってもこの“テーマ”は一生涯のテーマなので、現時点でのわたしの理解の範囲で書かせて頂きました。
ご冥福をお祈りいたします。
投稿: 阿頼王 | 2008年1月29日 (火) 07時20分
阿頼王さん
いろいろと暖かいコメントをいただき有難うございました。 阿頼王さんも死についていろんなことを勉強しているのですね。とても参考になります。私自身は、宗教にはあまり固執はしませんが、宗教というものは、人が死を考える上で生まれてきたものなのでしょうね。今後、私自身もどこまでこの問題を突きとめれるかが、課題でもあります。
投稿: | 2008年1月29日 (火) 22時03分