2007年5月24日 (木)

21人の弁護士の意味は?

 今日も午前中は講義で、午後からも2回生の自主ゼミがあり、それに参加しておりました。なんやかんやですぐに夕方で、少し実験をしようとしましたが、他にも用事が次々とあり、なかなか進みません。途中書きの2つの論文も机のどこかにいっております。

 夜はCoCo一番で久しぶりにカレーを食べてから帰り、少しニュースを見ていました。山口県光市で起こった母子殺害事件の差し戻し控訴審の初公判についてやっていました。これに関しては、1年ほど前にもエントリーしましたが、この事件のニュースが報道されるたびに、この被告人への怒り、更には被告を弁護する弁護団のやり方に疑問を感じます。今回は、21人の弁護団を擁して、殺人でなく傷害致死であることを証明するということで本当にばかげています。これまでの8年間の審議はなんだったのでしょうか。

弁護団は被告の犯行を「仮想現実に逃げ込んだままごと遊び」と表現した。本村さんは「法廷を混乱させようと奇々怪々なことを言っている」と批判。「被告を救うことは手段で、目的は死刑制度の廃止を訴えること。遺族だけでなく、被告さえ利用している」と厳しい表情で語った。(5月24日20時31分 時事通信)より一部抜粋)

 本村さんが言っている様に、この21人の弁護士は、おそらくこの裁判を通じて死刑制度廃止を訴えるのに利用しており、本当の意味でこの被告人のことを考えているのか疑問です。もし無期懲役で社会にでるようなことがあったら、この21人の弁護士全員は、最後までこの被告のことを面倒見て、しっかりと遺族に償いをさせるのでしょうか。本村さんに対してこの21人の弁護士らは何も思わないのでしょうか。被害者の死の意味をもっと考えて欲しいです。
以前、本村さんはあるニュース番組で「死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ」(引用元
と言ったそうです。今、あらためてこの本村さんの主張を聞いて、今回のこの事件に関しては、本村さんの思いが叶って欲しいと個人的には思っております。

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2006年10月11日 (水)

向井さんの代理母問題

科研費の申請の提出日も近づいてきていますが、まだ何も書いていません。何せ、5年間企業だったので、申請自体が久しぶりです。更に、この5年で申請書の内容も少し変わっており、どのように書けば通りやすいのかも研究していないのでいろいろな方に聞かなければ。企業にいたわりには論文のほうは出していたので、なんとか通したいです。でも最終的にはどれだけ審査委員の先生にインパクトある申請書だと思ってもらえるかだと思います。
 昨日、向井さんと高田さん夫妻が代理母の件で会見していました。東京高裁が彼らの双子の子供の出生届を受理するように品川区に命じた判決を出したのですが、品川区のほうが法務省の指示で最高裁に抗告するように命じたとのこと。それを受けての会見でした。実に親として愛に満ちた会見でした。特にいろいろな批判があるにもかかわらず、2人の子供のためにこの裁判を戦っている姿はとても尊敬します。確かに今回の代理母での出産の問題は法解釈が難しいです。従来の判例が分娩をもって母子関係が生じるということですが、この考え方自体がやはり古いのだと思ってしまいます。実際に今回の場合は、遺伝的には二人の子供であるし、養育もしているわけなので、これをもって親子として認めてあげなければ、あまりにも酷です。法務省が論点をはっきりさせるために最高裁の判断にゆだねるとのことですが、高裁で向井さんのケースとして特別に認めたわけですから、そのまま抗告しないでもよかったのではと思います。甘いでしょうか。前にも生殖医療の問題でこのブログにも書いたことがあったと思いますが、技術は、日進月歩で進歩しています。法律もそれにあわせて進歩していかなければならないでしょう。

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